美木子式NGO団体ビューティ施設日誌

理由があって家族と暮らせない高齢者、子供達、障害のある方の夢を叶えるNGO団体

ボランティアはしていませんので!ご注意を。

美木子です。

 

昨年度より、ボッチャの選手の方の競技の為のサポートをしています。

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練習をしたり。

 

道具を良い成績につなげる為には、いかに大切に保管し移動させるか。

 

介助者としてどう指示通りに不足なくサポートできるかを研究していますが。どの角度、どのあんばい、どれくらいのスピードでリクエストの位置は動かしていくのか‥息をのむようにオッケーの合図を待ちながら、ランプの(滑り台みたいの)角度や方向をゆっくりゆっくりと希望する方向へ動かすしかモデルはなく。

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よき介助、サポートとしての知識やテクニックを調べても情報がなく。

なかなか頻繁には練習をできないので、練習日は超集中して感覚を覚える。

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でも時はどんどん経過。

 

ゆくゆくは大会での競技のサポートまでする事になるのであろうかと予測していますが。

 

大会や練習、テクニック情報少な過ぎ!

 

元々、出会いはかなり前。

夫が長年送迎サポートをしていた利用者さんのお一人で。

私達が結婚した時に、キティちゃんのマットや靴下を贈って下さった方。

 

その方がボッチャに出場される大会の応援に行った際に「ボッチャのサポート(介助)をみきちゃんにして欲しい」とご本人からのオファーで。

 

その方の年齢すら聞かず。

障害のグレードも聞かず、知らず。

何が動かないのかも未だに覚えていない。

特にはサポートの内容や条件、詳細も分からず(笑)お受けしました。

  

今度なんでか聞いてみよう(笑)。

 

 

さて。

実は

夫は忙しい私のスケジュールを知っているので。

忙しくなりすぎるよと‥

手放しに大賛成はしていませんでしたが。

 

 

野生的に受けた。もちろん責任も覚悟も必要とする事だとは承知の上で。

 

だけど、わたしはいわゆる一般論的なボランティアで臨んでいない。(もちろん有償でお受けしているわけではありませんが)

 

必要としている方が出来ない事で、私でも貢献出来ることを共に挑戦している気持ちです。

毎年は無理だけど今年だけなら我慢してとか犠牲心ゼロ。

 

ガソリン代くらい欲しい(笑)とかけち臭い気持ちゼロ。(ボランティアにも、最近では担い手不足のため交通費と食事が提供される福祉団体もあるとか)

 

可哀想だからとか、障害があるのにすごいとかいう謎のリスペクトや偽善心なし。

 

 

やりたい事がある人、夢がある事に本気でサポートしたいと思うからです。

自分も今まで、今迄も、たくさんの人にサポートしてもらって、おかげさまでやりたい事を挑戦してきたから。

 

これから新しい事業にも沢山の方々に助けてもらうはず。

 

だから同じ。

 

 

多角的に気づかせてもらう事や学びもたくさんあって。

 

 

練習の後に

「みきちゃん、何のむ?」と

買ってくれた飲み物が、とっても嬉しかった。

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わたしが喉カラカラなとき、こうやって差し出してくれるそのお気持ちが、お気遣いが何より嬉しかったです。

 

 

だから。

もっともっとわたしが出来る事で貢献できたらと思っています。

 

それはその相手がもつ感性や人柄、想いに対して心が動かされたから。

わたしもそんな人間力のある在り方をしたいと思っています。

 

私は以前に。

 

熱が高く汗がダラダラでて、体から水分が失われ悪寒がし身体が限界だった時に。

たった一本のペットボトルの水を買いに行く体力を消耗していた時。

 

近くの人に頼んだら、買ってきて貰えなかった経験があります。

もちろん水のお金を差し出してもなお、買ってきて貰えませんでした。

 

 

その時、これが差別なのだと思ってしまいました。

 

 

そこにはなんの地位や名誉も持たない、見返りのない私と。

目の前に私よりチカラや影響力をもつ人を天秤にかけたその人は、ここを離れられないから水を買いに行ってこれないと選択をした姿は。

残酷で。

打算で。

 

そんなことは特別悪でもなく、普通の残酷でもあり、それが横行する世の中。

 

時に障害があったり、力をもたず、裁く事もない人間にしわ寄せをするという、小さな現代社会の弱肉強食のような縮図を感じた事があります。

 

 

でも、先日。

 

車椅子で足も、手指も動かす事がままならない人が、わたしに飲ませたくて、お水を人に頼んで買ってくれる姿は。

 

本当に弱者というのは、五体満足でない事ではなく。

強きものに、権力あるものに、計算で尻尾をふる者こそが哀れな弱者だと確信できました。

 

わたしはだから弱者とか障害がある人だから、助けてあげているのではなく。

 

私が喉が渇いたときに飲み物をくれたのと同じ事で、その方が投げたい時に道具を彼女の手の代わりに足の代わりにやっているだけ。

 

わたしは脳性麻痺のその方の、舌がマジョリティのようには動かす事はむすがしいから、すこし耳慣れない言語がすぐ理解出来ない事が沢山ある。

 

もはや日本語には最初は聞こえなかった。

 

だからわたしはその意味で障害者です。

 

 

なんでわかりやすく発音できないの?はマジョリティの言い分で。

 

 

なんですぐわからないの?がマイノリティの方の言い分でもあり。

 

どちらが、善悪でもない。

 

 

だから。

今はもう。

水を買ってきてくれなかったあの人を

なんとなく気にならなくなった。

 

 

思い出す事があっても、笑い話となった。

 

そして。

気負うこともなく、いつの日か、その人がお水を買ってきてあげたい、買ってこなくちゃーマズイヤバいと思って貰えるような自分になってたりしてたらそれも笑い話になるね(笑)