美木子式NGO団体ビューティ施設日誌

理由があって家族と暮らせない高齢者、子供達、障害のある方の夢を叶えるNGO団体

福祉をしている方に辛そうな人多すぎ

千葉日報様の取材を受けさせていただきました!】 先月、千葉日報様に掲載していただきました。

 

掲載された新聞と共に送られてきた、取材してくださった記者の方からの直筆のお手紙を読み、とても心が熱くなりました。

 

千葉の東金市にあるフラメンコスタジオにて、まずお昼の時間のレッスンの撮影から始まり。車で10分程の所にある我が家の直売所しいの木にまで取材、夕方までインタビューと長丁場となりましたが。

 

真摯にわたしの多岐にわたる活動や想いを書き留めて耳を傾けてくださっていました。

 

このお手紙にあるように、限られた紙面に人の想いや私のように農家の嫁でありながら3部門もの活動をする者を書く事‥大変だった事と予想します。

 

舞踊部門でフラメンコ。

 

サロン部門ではマシーンや化粧品、他者の施術に頼る事なく。自分の血流と自然治癒力をアップしビューティーやフラメンコも怪我なく楽しめるボディケアテクや若返りビューティーをサポート。

特にサロン部門のテクニックは、高齢者の方々の予防医療の効果も絶大。

また国家の高齢者の医療費逼迫の抑制につながる事でもあり、そのスキルを伝授しマスターでき適性がある方には自己で活かしていただき自立支援の一環となる自信があります。

 

 

そして新部門では福祉団体の運営

の3部門の活動をする農家の嫁。

 

でもこの3部門は、根幹は同じ。
「自分らしく在る」
「自分の可能性を最大限に生かす」
「最期まで自分を生きること」
を、必要としている方へお届けしたいだけ。

わたしが大好きな形で、貢献出来る事をお届けしたいだけ。
だから忙しくても楽しくてやめられない。

農に対しても固定概念より個性を。

健康やビューティーに対しても。化粧品とか施術や他のアイテムや施術者に頼らないカタチ。

フラメンコに対しても、リズム感や体力がなくても楽しめるように。

福祉には一般的な効率性を無視、まったく異論を唱える異端っぷり。長年の福祉従事者の方にはそんなの無理!って攻撃すら受けます。

でも、もし自分だったらと考えて決断しています。

仕事でも何にでも
結果とか成果を出す事はとても大切だし、大好きです。

 

だけどその過程の中で、
自分だったら嫌かな、嬉しいかな?を考える。

そしてその上で、関わる人達を大切に想いながら結果や成果を出していきたいと思って仕事でも、人とのお付き合いをして生きてきたつもりです。 

 

だから
例えばフラメンコ教室やビューティーのレッスンの時間や運営の中で、利益率よりも生徒さん達の満足度を優先してきました。

 

地球上の誰もを満足させる事はできないかもしれません。でも、ご縁があり巡り会えた方々とは、楽しい!嬉しいを味わって欲しい。ケアやフォロー不足による淋しさ、取りこぼし感や、落ちこぼれ感を味わって欲しくないと全力を注ぎたいと運営しています。  

 

だから。福祉に対しても「可哀想だから‥」の気持ちから行動していません。そんな団体を運営する訳だから、前例があるようでない!

そして、ボランティアという一般的な考えは共感しません、むしろ大嫌いです。

 

ボランティアは、自分でやりたいからやるもので。
団体側や様々なオファーをする側が、「お年寄りや孤児やハンディのある方にはボランティアでお願いします!」と真っ先に言う人こそが差別とか、偏見をしていると思います。

 

だから、安かろ悪かろなサービスなどの質となったり、心から利用者様が喜ばれない。

 

本当にその団体は資金ゼロですか?利用者さんは元高額所得者で社会的功績を残しすごい利用料金支払って入所してません?

 

わたしだったらサービスやスキルを提供してもらっているのに、若き相手の犠牲のもとにそれを受ける事、イヤイヤ仕方なくサービスをしてもらうのが辛くて、申し訳なくて、心から自分はダメな老人、ダメ人間っなのだと潰れそうになってしまう、私はです。

 

長く生きていて良いのか?この身体で生きていいのか?わたしは生まれてきてよかったのか?思ってしまいそうになるかもしれない。何の為に若い頃頑張ってきたのか?

ありがとうだけでは言い切れないかもしれない。 

 

福祉は可哀想な人へのサービスだから??資金がないから?ボランティアという鉄板ルール?みたいなのを強いるのは私は苦手です。

 

もし働きたい事や、やりたい事、誰かに貢献したいことやスキルや実績があるのに体や状況が理由でやれないのならば、やれるようなサポートをしたいし。 


その状況を変えるサポートをしたい。そして自分らしく生きぬけたい方には、可能なかぎりの自立支援をサポートしたい。
それにはわたしが◯◯力をつけるといい、◯◯の力に追い風で加速させたい、だから間もなくそのお勉強と実行がいよいよ動きだします、新しいスタートをします。

 

 

そして。


助成金や補助の中で静かに過ごし、それで満たされていたらそれも良いし。そういう静かな生き方もあっていい。 

 

そんな多様性をひとまとめにして。
福祉とか、ボランティアに対しそういう気持ちでオファーとか、言う人が実は意外にもお金をもっているのに、実際に従事、行動やサービス提供をボランティアをする人達は時に無理をしながら、自分や周囲や自分の少ない資金を犠牲にして頑張っているから辛いし続かない。だから福祉も、農業のようにキツイ、汚い、稼げないと言われ従事者にしわ寄せがくる。これは私が見た農業や福祉の一面への自論です。 

 

これまで福祉活動をしてきましたが、ボランティア活動だとは思ってしていません。 

 

もちろん私とは違う福祉への考えもあっていいし。それを、否定や批判し強制させるつもりも全く無い。 

 

そうでない世界もあるのかもしれないけど、わたしの手の届く近く所に、私が願うカタチにつくりたいから作るだけです。

 

行政や、現行のルールの限界でココまでしか補助がないのならば、それを改善して欲しいと声を上げる事も大切だし、そうアクションしているかたも沢山いる。

でも否定や批判や反対運動やボイコットだけでは人や政治はなかなか動かない、心が良き方へ動かないから。

 

ならば、こうしたら嬉しい楽しいをサポートして実現化する事を挑戦する福祉団体でありたい。 

 

そんな福祉の世界、在り方を小さくても良いから創り上げ、そんな福祉施設にいる事を自慢となるような、入りたいと願う世界を永続させたいです。 

 

そんな破天荒で個性的な土肥美木子という活動を紙面に書いてくださいました。

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書ききれなかったと思います。本人ですら未だに日々の活動に追われて、本気を想いを発信しきれずに歯がゆく、時に理解されず悲しかったり苦しんでいるのですから。

 

書くというプロですら
「悩みに悩んだ原稿でした‥」と。

でもそこには、書くという記者としての、そのプロの情熱と丁寧な想いに心をうたれました。

 

こちらこそ、光栄です。

 

このようなステキな記者の方との出逢いに、お仕事への姿勢に感動しました。

千葉日報社 編集局 町記者殿

若き女性記者。


心のこもった取材と掲載をありがとうございました。

 

今日は月曜午前中の定例の個人レッスン枠の生徒さんがお休みなので時間ができて、書きたい事が停滞していた中で、少しだけ久しぶりに想いを書いてみました。

 

因みに亡き義父の残した、存在する福祉活動団体のこぼれ話からも、現在は地元の大学生の福祉ボランティアが減少し活発でなくなったそうです。

それはこれまでのようなスタイルのボランティア精神に不自然に依存した活動、歪み、偽善、犠牲や無理をしたボランティア活動が継続できない現代社会だからという証。

 

バイトをしながらやっとの学生生活に無料のボランティアをする余力がないから。学生に限らず、仕事や家事に余裕がない日本だから。

 

だからといって誤解しないで欲しいのは、家族と暮らせなくなった子供や高齢者やハンディのある方が従来型ボランティアに永続的に頼れなくなったら、希望や楽しみが失われるのではなく、新しいカタチで希望や可能性に溢れた世界を創ります。

 

新しい自己の存在を尊重したシステム。

 

そして家族に難病を抱えている者がいるから、ハンディがあるメンバーがいるから、友達がハンディを抱えているから、それを盾に優位?に認可を受けていこうとか。

 

ミセス大会でグランプリというタイトルを獲得した事で自分や我が家の直売所を宣伝したいとかでなく。

 

関わる人たちが、

頑張っている人達が

より報われるきっかけとか、風となりたいだけ。

 

必要な人に、届けたいサービスやコンテンツを贈りたいからです。もっと優しくて楽しい日々を強く生きる協力と貢献をご縁ある方と、共に生きたいから。

 

 

そして。

 

人間は完璧な人は誰一人としていなくて。

たまたま、身体的にマイノリティだと障害となるように感じます。これは私の、自論。

 

私は手話サークルでなかなか手話を覚えられず。

皆んなが手話で楽しそうに話す中で、手話はわからず、思い切り口で喋って、口の動きから何を喋っているか理解してもらう、手話をできないたった一人の障害者でした。